5月1日未明、大時化の長崎県対馬北方海上で不慮の死を遂げられた「METAXA号」クルーの一木正治さんの『散骨式』が、6月30日(日)に故人のご子息、高校時代の同級生、 学生時代に在籍していた島根大学ヨット部の後輩をはじめ多くのヨット仲間が見守る中、最後まで楽しまれた博多湾で厳かに執り行われました。午前9時30分にクラブハウス前でご子息のご挨拶の後、午前10時に「METAXA号」を先頭に福岡市ヨットハーバーを出港し、クルーザーやヨットハーバーのボートなど20艇が「METAXA号」をいたわるように周囲を随伴し、2.5マイル沖合の能古島西側の「象瀬」付近まで航行し停船。 (※写真をクリックすると大きな画面になります)
写真左から、(出航前の式)、(お供え物)、(ご子息の挨拶)、(METAXA号を先頭に出港)、(散骨ポイントに集結)
午前10時30分、「METAXA号」からの音響信号「長音一声」を合図にそれに呼応するように参加各艇からも一斉に音響信号が発せられました。その憂いを覚える音の響きに、参加各艇の皆さんの中には思わず目頭を押さえる方も続出しました。
「METAXA号」上のご子息から花束が海に投下され、参加各艇からも菊の花が投下されました。続いて故人の遺骨がご子息の手により大好きだった海に散骨され、参加者全員が合掌して故人のご冥福をお祈りしました。最後に故人がこよなく愛していた「焼酎」がたっぷりと海に注がれ、安らかに眠っていただくことを願い式を終了しました。最後にご子息からは、こんなにも多くのヨットの仲間に見送られて海に帰った父は本当に幸せ者です。皆さん本当にありがとうございましたとの言葉をいただきました。
写真左から、(合図の音響信号)、(ご子息の献花)、(散骨)、(大好きだった焼酎をたっぷりと)、(最後に合掌)
本来、九州北部には生息していない猛毒の「ヒョウモンダコ」が九州北部の沿岸や砂浜で発見されたとの情報が寄せられています。詳しくは添付の新聞記事をご覧ください。
梅雨明けとともに、ヨットで海水浴に行かれる方も多いと思いますが、福岡市東区の海岸でも見つかったそうです。かまれると死に至ることもあるという危険なタコです。くれぐれもご注意を。
(ヒョウモンダコ新聞記事 PD F)
ニュージーランドのオークランドから福岡市ヨットハーバーに年代物のケッチが寄港中です。ニュージーランドといえばヨット王国。その中でもオークランド市は「City of Sails(帆の街)」の愛称で呼ばれており、ヨットやモーターボートの登録数は約14万隻。3軒に1軒の割合で小型船舶を保有している街です。オークランド市と福岡市は姉妹都市でもあります(昭和61年6月24日姉妹都市締結)。福岡市ヨットハーバーには時々ニュージーランドからヨットのお客さんが訪問されますが、こういうことも関係しているのかも。
艇名は「DAGON」、船齢40年の英国製の全長55フィートのケッチです。TomさんFransさんの素敵なご夫妻で10年以上世界各地をクルージングされています。Tomさんは御年64歳でアメリカ人、Fransはニュージーランドの方で現在はオークランドで生活されているそうです。
ご夫妻は6月16日の博多ヨットクラブ第4レースに「JORDAN」艇に乗艇して博多の海を堪能されました。この日は多少ガスがかかっていましたが、梅雨の合間の晴天で風もよく、絶好のレース日和となりました。レース中はクルーのデタラメなカタコトの英語とTomさんご夫妻の楽しい日本語で、大笑いの和気あいあいとした楽しいレースとなり、博多湾の素晴らしさを存分に体感いただけたかと思います。風がよかったため1時過ぎにはフィニッシュして、ハーバーに帰って遅めのランチタイムで大いに盛り上がりました。音楽は世界の共通語とよく言われますが、ヨットレースの楽しみ方も世界共通だったことを改めて感じました。「JORDAN」艇の皆さん、これからもカタコトの英語で国際交流に努めてください。
「DAGON」は7月に入ると関西方面に出港されるそうです。ゲストバースに繋留中の「DAGON」をぜひとも訪ねてみられてはいかがですか。そうそう、このヨットは1978年に英国艇として外洋ヨットの国別対抗戦、イギリスのアドミラルズカップヨットレースに出場して優勝した由緒ある経歴のヨットでした。当時は一本マストで、後ろのミズンマストは後から追加したそうです。
さる5月1日未明、アリランレース参加のため韓国・釜山へ回航途中に大時化の対馬北方海上で不慮の死を遂げられた故 一木正治さんの「四十九日」の法要が、6月29日(土)午後1時30分から太宰府市の「西正寺」で営まれます。
翌日の30日(日)にはご遺族の希望もあり、故人が最後までヨットで楽しまれた博多湾で『散骨』を行います。故人がクルーとして乗り込んでいた「METAXA号」が午前10時に福岡市ヨットハーバーを出港し、能古島西側の「象瀬」近くまで機走で航行し、午前10時20分頃に「METAXA号」から音響信号(長音一声)が発せられます。参列の各艇におかれましては「METAXA号」を中心に周りを囲むように集結していただき、参列の各艇もフォグホーンをお持ちでしたら呼応して長音一声を発していただき、『散骨』に合わせて合掌をお願いします。なお献花用のお花を「METAXA号」でご用意しますので、ご希望の艇は午前9時45分にヨットハーバークラブハウス前(岸壁側)にお越しください。
当日は故人のご子息もお見えになり、故人との最後のお別れになりますので多くの海の仲間にお集まりいただくようにお願いいたします。当日は雨天(小雨)でも決行します。
6月15日、福岡市ヨットハーバーに見慣れぬ大型のカタマラン艇がやってきました(T-1バースに一時係留中)。右舷サイドステイの上方に小さな日の丸が上がっていますので外国から来られたのでしょう。スターンのフラッグポールにはボロボロになった星条旗が付いています。
翌16日は博多ヨットクラブのレース、出港のための艤装をしていると、お隣のカタマランのキャビンに人の気配があります。さっそくご挨拶すると、感じのいいご夫妻が、ここが私たちの住まいよ、どうぞ入って!と中を案内していただきました。 ご夫妻はアメリカから来られた、Dave Funkさんと奥様のGailさんです。仕事をリタイアされ、このカタマランで11年間世界中をクルージングしておられるとのこと。
船は、44フィートのFountain Pajot Venezia(1996年建造)。広々としたキャビンはとても快適そうで、キッチンにはガステーブルのほかに大きめのオーブンと冷蔵庫も完備。長い時で3週間くらい海に出ているそうで、ストッカーにはたくさんの食糧が詰め込まれていました。すべての計器類はキャビン内にあり、普段はオートヘルムに任せているそうです。スタボー側の階段下にはゲスト用の寝室が二つとシャワー&トイレ、ポート側の階段下にはマスターベッドルームとやはりゲスト用のベッドルームが一つ。洗濯機と冷凍庫もありとても豪華です。何よりも驚いたのは、ゲスト用の寝室に「ハープ」が置いてあったことです。ボロローン♪という清らかな音色のあのハープですよ。ヨットの中にハープがあるなんて考えられないことです。奥様はハープを奏でながら歌も唄われるそうで、異次元の世界に入り込んだようでした。
日本を訪れるのは初めてとのこと。まず沖縄に寄られ、長崎~平戸と回ってきて小戸に寄港されました。このあと船を小戸に置いたまま、6月23日に一旦飛行機でアメリカに帰り、日本の台風シーズンが過ぎる3か月後の9月に福岡に戻ってきて、それから瀬戸内海をクルージングして大阪に行かれる予定とのこと。ご夫妻ともスキーが大好きで、日本でスキーを楽しみたいとも言っておられました。当分の間日本におられるようです。
ホームポートは米国・アイオワ州の「シーダーラピッズ」とのこと。アイオワ州って海に面していたっけ?と地図を調べてみると、同市はシーダー川の両岸に位置し市庁舎はこのシーダー川に浮かぶメイズ島にあるという世界でも珍しい都市らしい。艇名の「Fifth Season」は、シーダーラピッズ市の別名でもあるとのこと。とてもフレンドリーな素敵なご夫妻で今週いっぱいは滞在予定らしいので、機会があれば挨拶に立ち寄られてみては。
壱岐レースを下記のとおり開催します。
7月14日(日)0時 スタート(予定)
受付は7月13日(土)21時30分~22時
コース:小戸ヨットハーバー前~壱岐筒城浜(七湊)
その他詳しくは「壱岐レースのご案内」(←クリック)をご覧ください。PDFファイルが開きます。
壱岐の会員艇「OLIVE号」のSさんからの耳寄りな情報です。
今年の4月から、長崎県内の離島(壱岐、対馬、五島)で使える地域通貨「しまとく通貨」という事業が行われています。一口5千円で「しまとく通貨」を購入すると6千円分の通貨が得られるという大変お得なものです(3年間の期間限定)。
7月の壱岐レースやクルージングで訪問予定の皆さんは、現地での宿泊やお土産購入などで使わない手はありません。ぜひご利用を!
クルージングや7月の壱岐レースで訪問することが多い玄界灘に浮かぶ歴史と浪漫の島、そして麦焼酎発祥の地『壱岐島』。博多からヨットで5時間前後、高速船で1時間あまりと、ちょうど手頃な距離にあります。島の東西南北に港が位置し、特に北部の湯ノ本は「天然温泉」で有名です。そんな壱岐島にもHYCの会員さんがいらっしゃいます。今回は「OLIVE号」のS様から情報をお寄せいただきました。
島で最大の町、郷ノ浦町の郷ノ浦港(漁協西側)の浮き桟橋3基のうち1基(長さ30m)が外来艇用になっています(ヨット、モーターボート係留可)。そして この敷地内にトイレが完成しました。これから緑地化も計画されています。 この敷地は、大型クルージング船が着岸できるように埋め立てられたものです。 詳しくは、壱岐市の「いきいきネット」~メインメニューの各課のページ~ 水産課~自家用船舶でご来島のみなさまへ・・参照下さい。
当クラブ会員艇「METAXA号」のクルーでした一木正治さんが、韓国・釜山から博多までの「日韓親善アリランヨットレース」参加のため釜山港に向け回航途中、5月未明の大時化の長崎県対馬北方海上で不慮の事故でお亡くなりになられました。6月2日(日)午後4時から、生前、故人があしげく通われていた福岡市ヨットハーバーのクラブハウスでお別れ会が執り行われ、関係者をはじめ、多くのヨット仲間が参席され、故人のご冥福をお祈りしました。
福岡県セーリング連盟の秋山副会長様より、故人の経歴が紹介されました。大学時代にヨットとの運命的な出会いをされ、それ以降の人生が「海」と深く関わるようになりました。大学卒業後はヨット雑誌の舵社で仕事をされ、以前発行されていた月刊誌「Yachting」の編集長もされていました。故人が副会長をされていた日本マッチヨットレース協会の伊藝会長様からは弔辞をいただき、ご遺族であります奥様のご焼香の後、参席された多くのヨット仲間のご焼香が続きました。最後に奥様から、本当に海とヨットが大好きだった人でしたので、こんなにもたくさんのヨットの皆様に見送られて、本人も本望だったことでしょうとのご挨拶がありました。
3年前に出身地である福岡に帰ってこられ、知人の紹介で福岡市ヨットハーバーに係留する外洋クルーザー「METAXA号」のクルーとして、博多湾を中心に活躍してこられました。昨年還暦を迎えられ、仕事人生にもひとまずピリオドが打てたので、これからはもっとヨットにのめり込んでいこうと張り切っておられました。とにかく海が好き、ヨットに触れているときが最高に幸せ、という根っからのヨットマンでした。まだまだこれからでしたのにあまりに早すぎるお別れとなりました。故人のご冥福をお祈り申し上げます。
四十九日が終わった6月30日(日)に、ご遺族のご希望もあり、故人が最後まで楽しまれた博多湾で『散骨式』をさせていただく予定です。当日はご子息もお見えになられるとのことです。午前10時にハーバーを出港して「象瀬」周辺で行いますので、ご都合のつく皆様はぜひともヨットでご参加ください。